フェデリコ・フェデリチのらくがきちょう

いくら落書にはげんでみたところで、余白を埋めつくしたり出来っこない。──安部公房『箱男』

2021/10/27

『Another』観たんで感想書きます。

前回からあまり進んでいないから書くことはそんなにないですが、いちおう区切りがあるので書きます。

 

この作品の面白いところは前半部分と後半部分で謎というか物語がそれを巡って動く中心が変化するというところだと思います。前半は見崎鳴の正体が問題で、後半は3年3組に紛れ込んだ死者が問題となります。そしてアニメではこの第5話が前半の終わりであり種明かしの回。

 

この前半の真相は話のオチの付けどころとしてかなり良いと思っています。例えば、実際に見崎鳴が死者であったり幽霊であったりすると、それはシラケてしまう気がするのです。幽霊っぽい人がいてそのオチが「幽霊でした」では意外性がないし、幽霊のような、読者や視聴者の間で存在が前提されていないものが答えというのは釈然としないものがあります。ある程度共有されている前提を守ったうえで意外性が欲しいというのが、読者であったり視聴者であったりのワガママだと思うのです。

そのような制約の中でこのオチは上手くいっていると思います。確かに死者が3年3組に紛れ込んでいるという非科学的な話を含んでいますが、見崎鳴の正体そのものには関わっていないのでアリだと思っています。26年前の3年3組の話が見崎鳴の正体に関わる会話で出てくるのはフェアじゃないと思う人もいるかもしれませんが(つまり26年前の話を推理の材料として組み込むと非科学的で存在が前提されていないものを含んだ結論にならざるをえない)、僕はそのような部分は推理する必要のない部分と受け取ることができるのではないかと思います。3年3組には曰くがあり、それに関連して見崎鳴は「いないもの」として扱われいるというのが真相で、その曰くが分からなければ真相に辿り着けないということもないからです。

むしろ後半のその曰くを巡る物語へとスムーズな移行を与えているようにも思えます。転校生である恒一に真相を種明かししなければならない場面は必然的に〈現象〉が始まっているときで、次々に人が死ぬというホラーへと物語がシフトしています。

逆に全体の物語の構成の仕方から見ると、3年3組の内部の人間から描くのではなく、事情を知らない外部の転校生の視点から始めるのは、物語の見せ方として良いものだと思います。3年3組の曰くをいきなり提示されてもスッと入ってこないというか、物語に入り込んでいないうちは外面的な「設定」にしか見えないですが、物語を始めてからしばらくして明かされる中間点としては受け入れられるものだと思うのです。もちろん個人差はあると思いますが。

 

あと今回の文章の大筋とは関係ないですが、ひとつだけ言っておくと、「いない人をいる人として扱って」生じた歪みを「いる人をいない人として扱って」直すという対策法は、オシャレじゃんと思いました。

 

それではまた次回